1998年2月27日(金)-4月17日(金)
回廊時間=10:00-18:00 (土曜 12:00-18:00)
休廊日=日曜・祝日、3月14日
〒107-0062 東京都港区南青山2-27-21 Tel: 03-3497-1261 Fax: 03-3497-8665
伊藤忠ギャラリー
協力=アンドレ・エメリック・ギャラリー、ニューヨーク
With the Cooperation of Andre Emmerich Gallery, New York


<壁>1938年 キャンバスに油彩 50.2×64.8cm
ITOCHU GALLERY CO., LTD.
MAN RAY: Liberty and Pleasure
はじめに
 この度株式会社伊藤忠ギャラリーは創立10周年を迎え、『マン・レイ : 自由と喜び』展を開催する運びとなりました。日本では、これまで紹介される機会の少なかった絵画・彫刻・マルチプルを含め、20世紀前半にマルチメディアのアーティストとして異彩を放った、マン・レイの全貌に迫ります。インディペンデント・キュレーター、フランシス・ナウマン氏によるニューヨークでの展覧会から、本邦初公開の作品を含め、約25点をご紹介いたします。

 株式会社伊藤忠ギャラリーは、伊藤忠商事株式会社の美術部門としてユニークな活動を続けて参りましたが、皆さまのお引き立てにより本年度10周年を迎えました。インターナショナルなネットワークを活かし広く国内外の美術作品をご紹介すると同時に、展覧会の企画・運営、パブリックアートのプロデュース、美術館・コレクターのコンサルティングをはじめとして、多くの美術を愛するお客様のご愛顧を頂いて参りました。 厚く御礼申し上げます。

 今後は、より皆さまに親しんで頂ける総合的な美術ギャラリーとして、更に質の高い作品をご紹介する展覧会を企画いたしていきたいと存じます。引き続きよろしくお引き立てのほどお願い申し上げます。

展覧会主旨
 これまで主として写真作家として紹介されることの多かったアーティスト、マン・レイの総合的美術のに光を当て、マルチメディアの先駆者としてのプロフィールを検証する。

 アメリカ、フィラデルフィアに生まれ、ニューヨークでダダの洗礼を受けたマン・レイは、独自の前衛美術活動を展開した。レイヨグラフ等、新たな手法で写真作品に新境地を開く一方で、著書の中で「写真は美術ではない」との持論で美術のあり方を追及した。そのマン・レイが試みたあらゆる手法、絵画、彫刻、素描、版画、マルチプルなどの領域は意外なほど日本では知られていない。ダダから学んだ自由の気風と、パリで衝撃をもって共感したシュールレアリスムの喜び。この二つこそが、マン・レイの才能を多彩に表出させた。

 本展では、謎解きのような面白さをはらんだマン・レイの眼を丹念に追いながら、彼の世界を再現し、追体験することを試みる。

マン・レイ(1890-1976)年譜
1890 フィラデルフィアにて誕生(本名・エマニュエル・ラディンスキー)。
1897 一家はブルックリンに移住。
1909 働きながらデッサンのクラスに通う。 1919年迄、彫金、広告、製図等の職業に就く。
1913 アーモリー・ショーでマルセル・デュシャンとフランシス・ピカビアの作品を知る。最初のキュビズム風絵画の制作。
1915 ニューヨークで二つの展覧会に出展。デュシャンの訪問を受ける。ニューヨーク・ダニエル画廊で初個展。
1916 富裕なコレクターで詩人のウォルター・アレンズバーグを通しピカビア等と知りあう。
1917 アッサンブラージュやアエログラフィー(絵筆ではなくスプレーガン使用)の制作。
1920 トリスタン・ツァラと文通。銀製のチェスセット制作。 マルセル・デュシャンと立体映画の制作を試みる。
1921 デュシャンと「ニューヨーク・ダダ」刊行後、彼を追ってパリへ発ち、 ダダイスト達と知り合う。最初のレイヨグラフィー制作。
1922 以降、写真で生計をたてる。マン・レイのアトリエは20年にわたりあらゆる美学的動向の終結点となる。
1926 コラージュ「回転ドア」制作。シュールレアリズム画廊の開設。
1928 映画「ひとで」制作。
1929 映画「さいころ城の神秘」制作。
1932 「ダダ回顧展1916-1932」(パリ)、「シューレアリズム展」(ニューヨーク)、国際写真展(ブリュッセル)に参加。
1936 「シューレアリズムのオブジェ展」(パリ)にオブジェが展示される。
1937 「三人のシューレアリズムの画家展」(ブリュッセル)でタンギー、エルンストと共に作品を展示。ピカソらと最後の映画を撮る。12枚の写真にアンドレ・ブルトンの序文を付けた「写真は芸術ではない」刊行。
1940 5月、ドイツ軍の侵入に伴いボルドーへ逃れる。休戦協定後パリ経由でニューヨークに向かい、そのままハリウッドに至る。
1946 ビバリー・ヒルズでマン・レイとジュリエット・ブラウナー、マックス・エルンストとドロテア・タニングの結婚式。
1951 ハリウッドを離れ、ニューヨーク経由でパリへ渡る。
1961 ヴェニスの写真ビエンナーレで金メダル受賞。 ニューヨーク近代美術館での「アッサンブラージュ芸術展」に参加。
1963 ロンドン他で五つのマン・レイ展。自伝「セルフ・ポートレート」刊行。
1966 ダダ50周年にちなみ、パリ、チューリッヒ、ミラノ等で回顧展。
1974 ローマ、マドリッド、ニューヨーク等で個展。85歳を記念して「マン・レイ、 発明家、画家、詩人展」がニューヨークで行われる。
1976 パリにて死去。
 
 
Copyright (C) 2016 M&I Art All Rights Reserved. Technical Support LayerZero