マン・レイ(1890-1976)年譜 |
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1890 |
フィラデルフィアにて誕生(本名・エマニュエル・ラディンスキー)。 |
1897 |
一家はブルックリンに移住。 |
1909 |
働きながらデッサンのクラスに通う。
1919年迄、彫金、広告、製図等の職業に就く。 |
1913 |
アーモリー・ショーでマルセル・デュシャンとフランシス・ピカビアの作品を知る。最初のキュビズム風絵画の制作。 |
1915 |
ニューヨークで二つの展覧会に出展。デュシャンの訪問を受ける。ニューヨーク・ダニエル画廊で初個展。 |
1916 |
富裕なコレクターで詩人のウォルター・アレンズバーグを通しピカビア等と知りあう。 |
1917 |
アッサンブラージュやアエログラフィー(絵筆ではなくスプレーガン使用)の制作。 |
1920 |
トリスタン・ツァラと文通。銀製のチェスセット制作。
マルセル・デュシャンと立体映画の制作を試みる。 |
1921 |
デュシャンと「ニューヨーク・ダダ」刊行後、彼を追ってパリへ発ち、
ダダイスト達と知り合う。最初のレイヨグラフィー制作。 |
1922 |
以降、写真で生計をたてる。マン・レイのアトリエは20年にわたりあらゆる美学的動向の終結点となる。 |
1926 |
コラージュ「回転ドア」制作。シュールレアリズム画廊の開設。 |
1928 |
映画「ひとで」制作。 |
1929 |
映画「さいころ城の神秘」制作。 |
1932 |
「ダダ回顧展1916-1932」(パリ)、「シューレアリズム展」(ニューヨーク)、国際写真展(ブリュッセル)に参加。 |
1936 |
「シューレアリズムのオブジェ展」(パリ)にオブジェが展示される。 |
1937 |
「三人のシューレアリズムの画家展」(ブリュッセル)でタンギー、エルンストと共に作品を展示。ピカソらと最後の映画を撮る。12枚の写真にアンドレ・ブルトンの序文を付けた「写真は芸術ではない」刊行。 |
1940 |
5月、ドイツ軍の侵入に伴いボルドーへ逃れる。休戦協定後パリ経由でニューヨークに向かい、そのままハリウッドに至る。 |
1946 |
ビバリー・ヒルズでマン・レイとジュリエット・ブラウナー、マックス・エルンストとドロテア・タニングの結婚式。 |
1951 |
ハリウッドを離れ、ニューヨーク経由でパリへ渡る。 |
1961 |
ヴェニスの写真ビエンナーレで金メダル受賞。
ニューヨーク近代美術館での「アッサンブラージュ芸術展」に参加。 |
1963 |
ロンドン他で五つのマン・レイ展。自伝「セルフ・ポートレート」刊行。 |
1966 |
ダダ50周年にちなみ、パリ、チューリッヒ、ミラノ等で回顧展。 |
1974 |
ローマ、マドリッド、ニューヨーク等で個展。85歳を記念して「マン・レイ、
発明家、画家、詩人展」がニューヨークで行われる。 |
1976 |
パリにて死去。 |
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